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特集 二宮清純のゼンソク人間学

シリーズ2 vol.9 前半 喘息だからこそプロレスラーになれた

病気も爆破する帝王

“プロレス界の帝王”高山善廣は、この2015年1月、大仁田厚に「ノーロープ有刺鉄線電流爆破ダブルバット・ダブルヘルデスマッチ」で勝利し、初代「爆破王」に輝いた。
「爆破する部分を握ると危ないと言われて触らないように気をつけましたよ。でも1回、モロに当たってひどいケガをしたんです」
有刺鉄線も試合中、体のあちこちに突き刺さったという。こんな過酷なリングに48歳にして挑んだのはなぜか。
「他の(メジャーな)ベルトは全部獲っちゃった。これもやっとかないと引退した時に後悔すると思ったんで」
ニヤリと笑った高山の貪欲なチャレンジ精神はどこからくるのだろうか。
25歳と遅めのデビューから団体を渡り歩き、フリーとして身ひとつで闘う道を選んだ。2004年には脳梗塞を患い、以降は酒を飲まず、牛や豚も食べない。鶏と魚、玄米というヘルシーな食生活で健康を維持し、マットに立ち続けている。
困難にも決してくじけない心は、きっと幼い頃の喘息に耐えた体験で培われたものではないか。病気も敵も“爆破”し、これからも高山はリングの帝王として君臨し続ける。

二宮清純

仰向けに寝られないほどの発作

二宮: 高山さんとは以前、喘息に関する研究会でも対談をしましたね。高山さんが喘息だと初めて聞いた時には信じられませんでしたよ。

高山: アハハハ。そうでしょうね。他の方からもよく言われます。

二宮: 発症したのはいつ頃でしょう。

高山: 物心ついた時には症状が出ていました。発作が出ると仰向けには寝られない。ずっと横になって一晩中、母に背中をさすってもらっていましたね。

二宮: 当時はどのような治療を?

高山: カプセルに入った薬を吸入器に入れて、粉にして吸っていました。発作が出た時は必ずしていましたね。それを吸うと、とりあえずは症状が治まる。ひどい時には毎日、薬を使っていました。

杉原: 私も実は小児喘息で、同じ薬を服用していました。飲み薬も使っていました。今のように吸入器が発達していなかったので大変だったことを覚えています。

きっかけは強さへの憧れ

二宮: 喘息は成長するにつれて症状が改善するパターンもありますが、高山さんは?

高山: 僕も徐々に良くなって、薬を使う回数が減っていきました。中学では剣道、高校ではラグビーをやれるくらいになりましたね。

杉原: 私も中学で剣道をしていて、練習の度に発作が出てしまい、それで部活動を断念せざるを得なくなった。ものすごく悔しかったですね。高校のスキー部でも合宿中に発作が出て、隠れて薬を使っていました。ちょうど祖父も父も喘息の専門医で、私自身もつらい思いをしてきた経験が今の道につながっています。

二宮: 私もラグビーを少しかじったことがあるのですが、土ぼこりなどで症状が出ることもありました。

高山: 確かにラグビーをやっていて、たまに苦しくなることはありましたね。発作が出て動けなくなるんです。普段は全く問題なかったのですが。

二宮: それだけ小さい頃から喘息で苦しい思いをしていて、過酷なプロレスの世界に飛び込もうと思ったのはなぜでしょう。

高山: 中学時代にアントニオ猪木さんの本を読んだことがきっかけですね。喘息では無理かなという気持ちもありましたが、「猪木さんのように強くなりたい」との思いが上回りました。それで体を鍛えていったんです。

プロレスラーになって再発

二宮: 高山さんは大学卒業後、社会人生活を経てプロレスラーになるという異色の経歴の持ち主です。もう当時はだいぶ症状は治まっていたと?

高山: 大学に入ってからは薬に頼ることもなくなり、プロレス入門時に古い合宿所で暮らしていても症状は出ませんでした。ところがデビューから数年経った頃、突然、ひどい発作が出たんです。吸入器を使っても全く治まらない。呼吸ができなくて、のどに穴を開けたい気分でした。慌てて近くの病院に駆け込んだら、「これは救急車を呼ばなきゃいけないレベルだ」と言われましたね。

二宮: それはかなりの重症ですね。このコーナーに登場してもらったアスリートでも大人になって再発するケースは少なくありません。

杉原: 再発するだけではなく、大人になって発症する方もたくさんいます。喘息というと世間的には小さい頃にかかるイメージがありますが、実際にはどんな年代でも発症の可能性があるんです。私のクリニックにも大人の患者さんが多くいらっしゃいます。

二宮: 先生の実感として患者さんは増えていると?

杉原: そうですね。現代社会は、さまざまな要因で免疫力が低下したり、アレルギー物質が増えています。喘息もアレルギー症状の一種ですから、発症する方が増加傾向にあります。

最悪の状態でも勝利

二宮: では今、症状がない方も安心はできませんね。高山さんも再発したことで、また治療を行うようになったと?

高山: そうですね。吸入ステロイド薬を定期的に服用しながら、調子が悪い時には発作止めの吸入薬を使っています。それからは、ひどい発作は出なくなりました。

二宮: 試合や練習中に症状が出てしまうことはありませんか。

高山: それは不思議とないですね。試合も練習も普通の人間ではできないくらいハードなことをやっていますが、息苦しくてつらかった経験は1回だけです。

二宮: その1回とは?

高山: 発作が出て病院に駆け込んだ直後の試合です。息をするとヒューヒューする最悪の状態でした。でも、スケジュールが決まっていたので休めなかったんです。まぁ、無名の外国人レスラーだったんで10分くらいで勝ちましたけどね(笑)。

二宮: 以前、アドレナリンが出ると、気管支拡張作用があると聞いたことがあります。その影響でしょうか。

杉原: それはあるでしょうね。実は、かつてアドレナリンが喘息の気管支拡張薬として使われていた時代もありましたから。

高山: なるほど。練習や試合前は調子がイマイチでも、やっていくうちにだんだん良くなっていくことがあるんです。それはアドレナリンの効果だったんですね。

杉原: 体が温まってくることも大きいでしょうね。喘息の患者さんがスポーツをする場合は、より入念にウォーミングアップをすることが大切です。

高山: 僕は喘息だったからこそ、プロレスラーになれたんじゃないかと思うことがあるんです。ハンデがあるから頑張れる。喘息でなかったら、普通の生活をして終わっていたかもしれません。プロレスラーになるにあたっては、最初は親からもめちゃくちゃ反対されました。でも喘息だからといって夢を諦めたくない。その気持ちを持ち続けたことが大きかったのではないでしょうか。

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高山 善廣さん プロレスラー
東京都出身。大学卒業後、営業マンをやっていたが、プロレスラーの夢を捨てられず、UWFインターナショナル(Uインター)に入門。1992年、デビュー。95年のUインター解散後、Uインター関係者が立ち上げたキングダムに移籍。99年に全日本プロレスに所属し、大森隆男、浅子覚と「No Fear」を結成。その後、プロレスリングNOAHに移籍後、自由な活動を志してフリーとなる。フリー転身後は新日本プロレスリング等のプロレス団体のみならずPRIDEなどの総合格闘技にも出場。04年には脳梗塞を発症するも、2年の休養、リハビリを経て復帰。現在もプロレスを続けながら、TV解説、コメンテイターなどで活躍している。

杉原 徳彦先生
仁友クリニック院長
江戸時代から続く医師の家系に生まれる。杏林大学医学部、同医学部大学院卒業。東京都立府中病院(現在の東京都立多摩総合医療センター)呼吸器科で勤務後、祖父が開院した仁友クリニックで喘息治療に特化した診療を続けている。杏林大学医学部非常勤講師、日本内科学会認定医、日本アレルギー学会専門医。全日本スキー連盟競技本部専門委員も務める。

二宮 清純
愛媛県出身。幼い頃から喘息に悩まされる。スポーツジャーナリストとして五輪、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシング世界戦など国内外で幅広い取材活動を展開中。著書に『スポーツ名勝負物語』、『最強のプロ野球論』、『プロ野球の一流たち』、『天才たちのプロ野球』(以上、講談社)、『勝者の組織改革』、『勝者の思考法』(以上、PHP新書)、『プロ野球の職人たち』(光文社新書)、『プロ野球「衝撃の昭和史」』(文春新書)など。最新刊は『プロ野球 名人たちの証言』(講談社現代新書)、『プロ野球の名脇役』(光文社新書)。

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